「眠い」
一也は朝食までの間、何度も言い続けていた。
「うるさい」
僕たち全員で言い返していた、これも何度も言い続けている。
「はーい」
一也は同じ返事をする。
「そろそろ、飯にするか」
「やったー」
僕達は食堂に向かった。
「あれ、みなさん、まだいらっしゃらないんですね」
僕は言った。
「ああ、みんな、まだ寝ているよ、昼まで寝ているみたいだ」
先生は言った。
「ええー、ずるいなー」
一也は言った。
みんな一也の文句はもうスルーしていた。
ふわあーと一也は大きな欠伸をした。
僕らは横井さんと食事をした、それが、僕と浩太は嬉しかった。
「昼まで勉強ね」
横井さんは微笑んだ。
「はいっ!」
僕と浩太は元気に返事をした。一也は一人うげーという顔をしている。
「扱いやすい奴らだなー」
先生は言った。

勉強は本当に楽しかった。
あっという間に昼になった。
「それじゃあ、またね」
横井さんはそう言って去って行った。
「はあー、やっとか、俺、横井さん苦手だ、母ちゃんみたい」
一也は言った。
「はは、その気持ち分かるよ」
先生は笑って言った。
 そんなことないと僕は思った。
「皆さんは、どうするんですか?」
浩太が尋ねた。
「絵描くよ、美術サークルだしね」
「先生も?」
僕は尋ねた。
「俺はそんな元気もうないよ、疲れた」
「お疲れ様です」
一也はそう言って、ニヤリと笑った。
「お前なー」
そう言って先生は軽く一也を小突いた。
「じゃあ、僕、少し寝ようかな」
僕は言った。
「僕も」
浩太も言った。
「俺も」
先生と一也も言った。
そして僕達は少し寝ることにした。

夜、僕達は近所の神社の祭りに来ていた。僕達は当然のように先生におごって
もらっていた。次から次におねだりをして、買ってもらっていた。
「もう、一人二千円までだからな」
先生が言った。
屋店のランプが僕らを赤く照らす。少し離れたところを歩いている横井さんの
姿にドキッとした。綺麗だ。
僕は今までいろんな女性を見てきたが、横井さんはその誰も持っていない美し
さを持っている。気付くと視線は横井さんの方を向いてしまう。一緒に話がで
きたらな、そんなことを思った。
がやがやと騒がしい人の話し声が僕の気持ちを焦らせる、思わず手に力が入る
。
「陸人」
「陸人、聞いているか?」
一也の声にハッとする。
「え、何?」
「水風船すくいやろうぜ、どれだけ多く救えるか競争な」
「ああ、うんいいよ」
僕達は水風船すくいをした。
結果は一也が四個、浩太が二個、僕が一個だった。
「へー、いっぱい、すくえたねー」
横井さんが話しかけてきてくれた。
「横井さん、一個あげるよ、授業のお礼」
一也はそう言って黄色の水風船を渡した。
「ありがとう」
横井さんは笑顔を見せる。
僕の胸は騒いだ。僕も一也みたいに自然に話しかけられたらな、そんなことを
思った。
一つだけの僕の赤い水風船はすごくちっぽけに見えた。
だんだん人の騒ぎ声も遠くなっていった。
「陸人、どうかしたか?」
先生が言った。
「え、ううん、大丈夫だよ」
僕は作り笑いを浮かべる、急に耳の中に人の声が戻ってくる。
「先生、ビールおごってー」
一也が言う。
「いいけど、飲めるのか」
「大丈夫、大丈夫」
先生はビールを買って一也は、それに口をつけると
「うぇー、苦い」
と言った。
「ほら見ろ」
先生は言って、浩太は、はははと笑った。
そして一也はビールを一気に飲んで
「一気にいくとおいしいんだよね」
と言った。
「そっか、俺も最初はそうだったな」
先生は言った。
「先生も?」
浩太は訊いた。
「俺も、最初はビールが苦くてダメだった、でもだんだんおいしく感じるよう
になったよ」
「そうなんだ」
僕は言った。
「僕もビール」
浩太は言った。
「僕も」
僕も言った。
「いいけど、大丈夫か?」
先生はそう言ってビールを買ってくれた。
僕らは一気に飲んだ、そして二人で、
「苦い―」
と言った。そしてみんなで笑った。
僕らは射的をした、しかし一発も当たらなかった。
みんなでたこ焼きを食べた、熱かった。
お好み焼きも食べた、美味しかった。
近くの大人たちが酒に酔って喧嘩を始めた。
熱風で服がむんむんとした。
いろんな匂いが混ざり合って、鼻がおかしくなった。
子どもたちがおいしそうにわたあめを食べていた。
横井さんが林檎飴を買って舐めていた。
先生は二千円を過ぎてもおごってくれた。
水風船を落として割ってしまった。
いつまでも祭りは続くかのように思えた。
しかし、だんだんと屋台は店をしまい始めていった。
「そろそろ帰るか」
先生は言った。
「そうだね」
浩太が言った。
「えー」
一也が文句を言った。
「もう終わりだ」
先生が言った。
「はーい」
一也が言った。
「また来ようね、またみんなで来ようね」
僕は言った。
「ああ、そうだな」
先生は言った。
僕達は束の間の楽園を去った。草履の音を響かせながら僕らは歩いた。
スーパーマーケットの前で先生は立ち止まった。
「どうしたの?お腹空いたの?」
一也は言った。僕達はもう既にお腹いっぱいだった。
「売ってるかな?」
先生はそう言って、店に入って行った。
なんだろう、僕達は顔を見合せて先生の後に付いて行った。
「お、売ってるじゃん。いいもの買ってやるよ」
先生はそう言って店の一角のコーナーに進んで行った。
「ほら、これ、やりたいだろ」
「おおー、いいねー」
一也は言った。
先生が指差しているのは花火だった。
「久しぶりだね」
浩太は言った。
「小学生以来かな」
僕は言った。
僕らは小学生の時、親のもとで、三人で花火をした。それ以来だ。
一番大きい花火セットとライターを買って、僕らは近くの公園に向かって歩き
だした。
「お、いいの持ってるじゃん」
途中、横井さん達に会って、僕らはみんなで花火をすることにした。
公園に着くと僕らはワイワイ騒ぎながら花火を始めた。
女の人達はキャーキャーと声をあげている。
導火線に火をつけた時のシュルルという音が僕らをわくわくさせた。花火は勢
いよく火の粉をあげる。
僕らは火の点いた花火を持って駆けまわった。
花火の明りにぼんやりと浮かび上がる横井さんの顔は美しく、つい見とれてし
まった。
そんな僕の近くで一也はロケット花火を打ち上げて僕をびっくりさせた。
みんなが笑った、花火はまるでどこかの遊園地のパレードかのようだった。
小さな打ち上げ花火は勢いよく空をきった。
僕は、ああと一つの花火が終わるごとにうなづいてしまった。
おそらく、いや、きっともうすぐ夏が終わる。これは楽しかった夏への贈り物
だ。
夏よ、ありがとう。
線香花火が終わると、僕らは花火の残骸を持って公園を後にした。

合宿最後の日は、また午前中勉強した、横井さんも教えてくれた、午後から、
また海に遊びに出た。先生は午後、絵を描きに出かけた。
夕方になって、僕らは旅館をあとにした。
「良く頑張ったな」
帰り道、先生が僕らにそう言った。
「これで、成績あがってくれたらいいなあ」
僕は言った。
「そんなに簡単に成績はあがらんよ、でもがんばった証はしっかり残る」
先生は言った。
「うん」
浩太が頷く。
「ずいぶん日焼けしたね、俺達」
一也が言った。
「そうだな。盆が終わったら、また塾が始まるな」
先生は言った。
「僕は明日からバイト」
僕は言った。
「僕も」
浩太も言った。
「俺も」
一也が言った。
「なんだ、みんなもう休み終わりか・・そっか、大変だな」
遠くに陽炎が見える、逃げ水も。
もう潮の音は聞こえなかった。
「自分で選んだ道だからね」
一也は言った。
太陽はもうだいぶ傾いていた。蝉の音が聞こえる。
大丈夫、夏はまだ続いている。
たとえ、夏が終わっても、僕らは大丈夫だ、ずっと一緒だ。

合宿の次の日、僕のバイトは午前中だった。ずっと食器洗いだ、手がもうガサ
ガサになっていた。
やっと、昼になって、僕は今日のバイトを終え、店を出た。日差しは今日も強
い。
店の前には何故か浩太が待っていた。
「よう、びっくりした、何?待ってたのか?」
僕は言った。
「・・・うん」
「?」
「あのさ、ちょっと話したいことがあるんだ」
「何?場所変えるか?」
僕らはアイスを買って、近くの神社の境内に行った。僕は腰を下ろした。
「何、深刻な話か?」
僕は言った。
「・・うん、あのさ、陸人は、横井さんのこと好き?」
「いや、別に」
僕は嘘をついた。浩太から話があると言われたときに、たぶんこの事だろうと
思っていたので、すんなりと嘘がつけた。
「そう・・あのさ、僕、横井さんのことが好きなんだ」
「そっか」
僕は言った。
「それで、その、告白したくて・・」
神社の周りの木は蝉嵐だった。
「うん」
僕はアイスの残りをかぶりつく。浩太の持っているアイスは溶けている、今に
も落ちそうだ。
「ダメだってのは分かってる・・でもどうしても、この想いだけは伝えたいん
だ」
「えらい、男だな。はは」
「手紙書いたんだ、でも、渡すに渡せなくて・・」
だんだんと声が小さくなっていく。
「僕が渡してやろうか?」
僕は言った。
「本当?ありがとう」
「ああ、任せておけ」
終わりにしよう、この恋は浩太の手紙を渡すことで終わりにしよう。
浩太のアイスが落ちた。それを見てははと僕は笑った。
「これなんだけど」
僕は受け取る。
「任せておけ」
「ありがとう」
「よし、じゃあ、今日は一也のバイト先にでも遊びに行くか」
僕は言った。
「うん」
浩太は頷く。
僕らは神社を出た。
信号が青になって歩き出す。
「危ない!」
その声と同時に僕の体は浩太に突き飛ばされる。
何事かと、後を振り向くと、トラックが浩太の体にぶつかっていく。浩太の大
きい体はボールのように吹っ飛んでいく。
トラックはスピードを緩めずにガードレールにぶつかり信号にのめりこんでい
く。
僕は急いで浩太のもとに向かう。浩太は全く動かない、頭と腹から血が流れて
いる。
「浩太!」
呼びかけても、反応がない。
「事故だぞ、誰か、119番!」
近くにいた人が叫ぶ。
「大丈夫か?」
人が集まってきた。
こんなことってウソだろ。
「こんなこと、こんな・・・浩太!浩太!!」
お願いだ、目を開けてくれ、何か言ってくれ。お願いだ、死なないでくれ、そ
んなの嫌だ。
「浩太、浩太!」
僕の目からは涙が出てくる、でもそんなことどうでもいい。
「死ぬな・・浩太」
急に雨が降ってきた。にわか雨だ、雨の勢いはどんどん強くなっていく。血が
流されていった。でも浩太の血は止まらない。
「浩太!!」
僕は必死に叫び続けた。
数分後、救急車が来た、雨の中、浩太は車の中に乗せられる。僕も一緒に乗っ
た。
浩太は病院に着くと手術室に運ばれた。
僕は茫然と立ちつくす。
「大丈夫?」
そう言って、看護士さんがタオルを渡してくれた、僕の体は雨にうたれてびし
ょ濡れだった。僕はゆっくりと頷く。でも体は動かなかった。
「ご家族の方の電話番号分かる?」
僕はゆっくりと頷いた。
「電話こっちよ」
僕は連れられて行った。
「電話、私がかけようか?」
看護士さんはそう言ってくれた。
僕は首を横に振る。電話のボタンを震える手で押す。数秒後、おばさんが出る
。
「陸人です。あの・・」
「ああ、陸人君、どうしたの?浩太なら出かけているわよ」」
「あの、浩太が事故に遭いました、今、市立病院にいます、急いで来てくださ
い、ごめんなさい・・」
「・・ええっ・・分かった、すぐ行くから」
そう言って電話は切れた。
「まだ電話したいところがあるんですけど、いいですか?」
看護士さんは首を縦に振った。
電話帳で一也の働いているコンビニを探して電話をかけた。
「もしもし」
一也の声だった。
「一也」
「おお、陸人か、どうした?」
「浩太が、浩太が・・」
「?」
「事故に遭った、僕をかばって、トラックにはねられて、今、市立病院」
最後の方は涙でうまく言葉にならなかった。
「市立病院だな、すぐ行く、先生も連れて行くから、待ってろ」
そう言って電話は切れた。
僕は廊下のベンチに座って待った。体は冷えていたが蒸し暑かった。時計の針
はカチコチカチコチと音を鳴らし続けた。
廊下の明りは薄暗い、古い手術中というランプもぼんやりと光っている。
おばさんがすぐにやってきた。
「陸人君」
「おばさん」
おばさんは息を整えながら、ゆっくり歩いてくる。
「おばさん、ごめんなさい、浩太、僕をかばって、トラックにはねられて・・
」
おばさんは小さく頷いて、その後は何も言わなかった、いや、おそらく何も言
えなかったのだろう。そしてベンチに座り手を組んで祈るかのようなしぐさを
した。
続いて一也と先生も現れた。二人ともびしょ濡れだった。
「浩太は?」
先生が訊いた。
僕は手術室を示した。
「そうか」
先生は言った。

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