そして、その日、浩太は死んだ。
おばさんは声をあげて泣いた。
一也と先生も泣いた。
僕も泣いた。
何もなかったかのような安らかな顔だった。
僕はこれが現実だと思えなかった。
昨日まで一緒に合宿に行っていたんだ。一緒に海で泳いだんだ、一緒に日の出
を見たんだ、一緒に勉強もしたんだ、一緒に祭りも行ったんだ、一緒に花火も
したんだ・・
今日、心の内を開けてくれたんだ、好きだって教えてくれたんだ。
手紙も預けてくれたんだ。
ずっと一緒だったんだ。
こんなの嫌だ。
葬式は静かに行われた、高校の元クラスメイトも来てくれた。バイト先の人も
来た。
葬式に横井さんも来てくれた。
「横井さん」
僕は声をかけた。
「陸人君」
僕は手紙を取り出す、雨で濡れたので少し文字がにじんでいる。
「これ、浩太が横井さんに渡そうとしていたものです」
「私に?」
僕は首を縦に振り、横井さんに手紙を渡した。
そして僕はその場から逃げるように走り出した。
心の中は空っぽになってしまった。もう何も考えられない。
浩太はいない。
それがとてつもなく痛かった。心を刺した。
浩太は僕をかばって死んだんだ。
僕のせいだ。
誰かが違うよと言っても、それは嘘だ。
事実はもう残酷なんだ。
僕が悪い。
僕が悪いんだ。
僕立ち止まり空を見上げ、ゆっくりと歩いて家に帰った。
いけないのは僕なんだ。
次の日僕はバイトを休んだ。塾もサボった。独りベッドの中で一日を過ごした
。誰にも会いたくなかった、誰ともしゃべりたくなかった。
そんな日が一週間ほど続いた。
そして一週間後やっとバイトに行った。ものすごく怒られた。僕はその日から
、晩もシフトを入れた、そうして塾に行かなくなった。僕は一也と先生に会わ
なくなった。
一日、ただ何も考えずに働いた。主な仕事が皿洗いと掃除だったので作り笑い
なんかしなくて良かった。バイトが終わった後の一人帰る時間が一番辛かった
。虫の音が聞こえ始め、もうすぐ秋が来ることが分かった。
塾に行かなくなって三週間ぐらいが過ぎたころ、先生が僕の家に来た。
「陸人、春日先生来てくれたわよ」
でも僕は部屋から出なかった。
「陸人・・・」
母親はもうそれ以上何も言わなかった。
「陸人」
先生の声だ。
「もう一度、塾に来て一緒に勉強しないか?」
先生は言った、僕は何も言えなかった。
「先生も、浩太がいなくなって、さびしいよ」
「正直、今はどうしたらいいのか分からない」
「考えれば、考えるほど頭の中がごちゃごちゃになる」
「でも、陸人は悪くないと思うよ」
「勝手なこと言ってごめんな」
「先生、待っているから」
先生はそう言って帰って行った。
僕は布団の中で声を殺して泣いていた。
僕はもう一度塾に戻りたかった。
寂しかった、みんなに会いたかった。
それでも僕は塾に戻らなかった。
そんなバイトに明け暮れる日々が続き一ヶ月半が過ぎた。
その日、僕はいつものようにバイトを終え、帰ろうとした。
店の前には一也がいた。
僕を待っていたみたいだ。
「よう」
一也が言う。
しかし僕は何も言えなかった。
「遅くまで働いているんだな」
「・・」
「ちょっといいか」
「・・・」
僕は何も言えなかった。
「場所変えよう」
一也はそう言ってコンビニの袋を持って歩き始めた。僕は何も言わず付いて行
った。
僕は一也の隣には立たずに歩いた。もうそんな資格ないと思っている。
一也は無言だった。
・・・この方向は。
「なあ、こっちって・・」
僕は思い切って言った。
「二人だけじゃ寂しいだろ」
一也は言った。
・・・
しばらくして、僕らは事故のあった場所に着いた。
「浩太―、来たぞー」
そう言って一也は歩道に腰を下ろした。
今もなお道には花束が置かれている。
「飲もう」
一也はそう言って袋から缶ビールを取り出し僕に渡した。
「座れよ」
僕は腰を下ろす。
「浩太も飲め」
そう言って一也は、蓋を開けた缶ビールを花束の側に置いた。
一也も缶ビールを取り出し、ごくごくと飲み始めた。
「くーーー、苦い」
僕も飲む、やっぱり苦かった。
「苦いか?」
一也が尋ねる。
「ああ」
僕は答える。
「すまんな、ここには来たくなかったかもしれないけど、三人一緒に飲みたか
ったから」
「・・・」
「浩太はまだ生きているみたいな気がしてさ、塾で座っていると、後ろからひ
ょっこり顔を出すような気がするんだよ、はは。死んだことを受け止められて
いないのはお前だけじゃないんだ」
「・・」
「なあ、浩太は死んだ、それに一緒に向き合わねえか」
「・・」
「お前の苦しみ俺にも分けてくれねえか」
一也は言った。
僕は涙を流していた、涙が止まらなかった。
「ああ」
僕は涙声で言った。
「逃げるのはやめようぜ」
一也も涙声で言った。
「ああ」
僕は頷いた。
浩太すまない。
俺は逃げていた。
お前が助けてくれた、この命を忘れていた。
俺は生きている、そしてお前は死んだ。
現実はそうなんだ。
でも、俺認めたくなかったんだ、ふと気付いたら、お前がどこかで笑っている
ような気がしていた。
でも、それって逃げていたんだよな。
でも、でも。
「でも、ずっと一緒だ、浩太は僕達と一緒だ」
僕は言った。
「一緒なんだ」
僕は繰り返した。
「ああ、一緒だ」
一也も繰り返した。
そして一也はビールを一気飲みした。
「さあ、どんどん飲むぞ、つまみはねえけど」
「ええ、僕、腹減ってるんだけど」
「実は俺も腹減っているんだ、もう、ぺこぺこ」
一也は言った。
ははと僕は笑った。
一也も笑う。
僕はビールを一気飲みした。
「ほら」
もう一本差し出される、受け取ろうとした時、自転車のブレーキ音がした。
見ると先生だった。
「先生、どうしたの?」
一也が訊く。
「いや、これ」
先生は花を見せた。
「今、塾終わったんだ」
「もしかして、毎日来てるの?」
一也が尋ねる。
「ああ、うん。まあ、毎日になるな」
先生は自転車を降りて花を置いた。
「先生も飲んで、ほらこれ」
そう言って、一也は缶ビールを先生に渡した。
「おお、陸人、久しぶり」
「うん」
先生も歩道に座る。
「ねえ、先生」
僕は言った。
「何だ」
「大人になったら、人の死を上手に乗り越えられるようになるの?」
僕は尋ねた。
「そんなことないだろう、人を大切に思う気持ちは大人も子どもも一緒だ。そ
の人の存在が無くなったら、辛いのは同じさ。寂しいもんだよ」
「そっか」
「でも、まあ、存在は完全に消えるわけじゃないだろう、心の中で生き続けて
いるとかいうのはすごいと思うけど、思い出や言葉や感覚が残るからな」
「ずっと一緒?」
僕は言った。
「そうだな、ずっと一緒だな、確かに浩太は一緒にいてくれるな」
「ふふ」
一也は微笑んだ。
「一也、つまみくれよ」
先生は言った。
「ないよ」
僕達は声を揃えて言った。
夜の闇が僕たちを優しく包んだ。
虫の音が聞こえる。
次の日、僕はバイトの時間を元に戻してもらって塾に行った。
そして日曜日、僕と一也と先生とで出掛けた。
僕達は自転車に乗って行った。
「結構遠くにあるんだな」
僕は自転車を滑らせながら言った。
「もうすぐだよ」
一也が言った。
「そうそう」
先生が言った。
そう言ってから、本当にすぐに着いた。
「うわー、すごい、墓の数」
僕は言った。
「土地の安いところにまとめて作るんだよ」
先生が言った。
今日は綺麗に晴れていた。もう「涼しい」という言葉をたくさん使う季節にな
っていた。
「いい天気になってくれたな」
一也が言った。
「ああ」
僕が頷く。
「どれか分かるの?」
僕は訊いた。
「えっとー」
先生は言った。
「どこだっけ」
一也が言った。
「確かこっちの方だったと」
先生は言った。
「思う」
一也は言った。
先生と一也は苦笑いを浮かべた。
「探すかー」
僕は空を仰ぎながら言った。
僕達は墓を探した、そして三十分後やっと、本当にやっと見つけた。
「浩太、来たぞー」
一也が言った。
「ああ、来たぞ、遅くなってごめんな」
僕は言った。
僕は合掌して鞄から、缶ビールとおはぎを出して墓に供えた。
「お前の大好物だぞ」
僕は言った。
「おはぎ好きなの?」
先生は訊いた。
「うん、甘いもの好きなんだよ、でも高校入ってからずっとダイエットしてい
たんだ」
一也が言った。
「そっか」
先生は言った。
「やっと来れた」
僕は言った。
この墓参りは一也から誘われたものだ。一也は浩太が喜ぶから、行って欲しい
と言った。
僕はいろいろな心の葛藤があった。でも、本心はずっと行きたいと思っていた
。
「浩太がいなくなってから、授業が少し寂しくなったぞ」
先生はお墓に向かって言った。
「でも、みんな元気だ」
「助けてくれてありがとうな」
僕は言った。
「なんで、浩太の命と僕の命、天秤にかけられるようなことになってしまった
んだろうな」
「僕はそれがくやしいよ、浩太」
「僕は生きるよ、見ててくれ。お前の分も生きるとか勝手なことは言わない、
僕は僕の分をしっかり生きるよ」
僕は言った。
「なあ、浩太、そっち寂しくないか?寂しかったら、俺嫌だよ、そんなの嫌だ」
一也は言った。
「俺たちもいつかはいく、だから、今を精一杯生きるよ」
先生はいった。
「浩太・・」
僕はこの胸の中にうごめく言葉をはっきりした言葉にできなかった。
事故の時の浩太の身体が思い出される、浩太は何も言わなくなってしまった、
だんだん冷えていく身体。流れ続ける血。煙をあげるトラック、救急車のサイ
レン、そして病院。
一つ一つをゆっくりと思いだした。
もう逃げずに記憶の奥に押し込まずに僕は受け止めようとした。でも苦しかっ
た。
「浩太、ごめんな、僕、まだちょっと苦しいよ」
「大丈夫か?」
一也は言った。
「うん」
「今日はもう帰ろう」
先生が言った。
僕達はゆっくりと自転車をこいで帰った。
次の日曜日、僕の家のインターホンが鳴って出てみると意外な人物が立ってい
た。
横井さんだ。
まだ朝だった。
僕はドアを開けて頭を下げた。
「おはよう」
横井さんは言った。
「おはようございます」
僕も言う。
「春日君から、陸人君の家教えてもらったの」
「はー」
「今日はお願いがあって来たんだけど、その、浩太君のお墓に案内してくれな
いかな」
「いいですけど、電車もバスも通っていないところですよ。歩きじゃちょっと
遠いし、自転車か車じゃないとちょっと・・・」
「じゃあ、二人乗りしていこうか」
「え」
「いい?」
「いいですけど」
「じゃあ、行きこいでくれる?私帰りこぐから」
「はい」
僕らは自転車に乗って浩太の墓に向かった。
「ごめんね、私、重いから」
「そんなことないです」
僕は言った。
横井さんが密着してきて僕の胸は高まった。
だめだ、変なこと想像しちゃ。
僕は何とか自制した。
僕は必死に自転車のペダルをこいだ。
「ねえ」
横井さんが話しかけてきた。
「何ですか?」
僕は答えた。
「陸人君には好きな人いる?」
「・・前はいました、今はいません」
「そう」
「もうすぐ着きますよ」
今度は簡単に墓が見つかった。
「いいところね、静かで、緑に囲まれて。ここで眠るなら幸せね」
「・・・」
「浩太君、私、お返事の手紙書いてきたの。良かったら、読んでね」
そう言って、横井さんは手紙を置いて、風に飛ばされないように石を載せた。
「はー、良かった。ずっとこれがしたかったの」
横井さんは言った。
「ありがとうございます」
僕は頭を下げた。
「いやいや、そんな、お礼を言うのは私の方だよ」
横井さんは言った。
「ところでさ、一緒に食事食べない、お弁当作ってきたんだ」
「あの、浩太のぶん、ありますか?浩太、すっごく喜びますけど」
「ああ、そっか、じゃあ、分けっこしよう」
そう言って横井さんは弁当の中身をいくつか浩太に供えた。
「ありがとうございます」
僕はお礼を言った。
「なんか照れるね」
横井さんは頭をかいた。
「じゃあ、あそこのベンチで一緒に食べようか」
「はい」
僕らはベンチに座った、僕のドキドキはまだおさまらない。
「それじゃ、これ、味には自信ないけど」
食べると家庭的な味だなと思った。
「おいしいです」
僕は言った。
「ありがとう」
横井さんは満面の笑みを浮かべた。
「私さー」
横井さんは話し始めた。
「前に付き合っていた人がいたんだけどね、その人のことそれ程好きじゃなか
ったんだ、でも好きとか嘘ついて付き合ったの。悪い人ではなかったけど、良
い人でもなかった。ただ、一緒にいると私がどんどん削れていくみたいな気が
した。だんだんダメになっていたんだ。それで、別れた、無理やりね」
「・・・」
「どう思う?」
横井さんは訊いた。
「どうて何がですか?」
僕は尋ねた。
「そういう恋はどう思う?」
「・・・」
「例えば、私は陸人君のこと好き、でも、陸人君は私のこと好きじゃない。こ
ういう場合、付き合う?」
「・・いえ、付き合わないです」
僕は自分で自分を失恋させた。これが浩太への僕の態度だ。
「そっかー、ちょっと、ショック、へへ、私ね、小学校の先生になるんだよ、
応援してくれる?」
「はい」
「ありがとう、元気出た」
それから、僕達は黙ってもくもくと食べた。
「帰ろうか」
横井さんは言った。
「はい」
「帰り、私こぐから」
「僕がこぎましょうか?」
「いいの、約束したでしょ」
僕達は自転車に乗った、僕はさっきよりもドキドキしていない。自分を失恋さ
せたのはやっぱり、ショックだった。横井さんの肩に手を置く、その細さにび
っくりした。
帰りは下りが多く思ったよりも楽そうだった。
二人無言のまま、家に着いた。
「それじゃあ、ありがとうね」
横井さんはそう言って、去って行った。
家の中に入ると急に雨が降ってきた、しかもかなり強い。
横井さん、傘を持っていなかったな、これやばいかも。
僕は傘を差して、一本余分に傘を持って家を出た。
駅の方かな。
僕は走り出す。
途中のバス停で雨宿りをしている横井さんを見つけた。
声をかけようとした時、僕はびっくりした、横井さんは泣いていた。
僕はゆっくりと歩いて行って傘を差しだした。
横井さんは僕に気付きはっとした。
そして、涙の勢いはよりいっそう強くなった。
僕は横井さんの前に立ってじっと待った。
肩を抱くことも、涙をぬぐうこともしなかった。
ただ、我慢してひたすら待った。
そして、数分して
「ごめんなさい」
と僕は言った。
横井さんは泣きやむと傘を受け取り、差して
「ありがとう」
と一言だけ言って駅の方に歩いて行った。
僕は夏を終わらせた。
浩太と一緒に胸をドキドキさせた夏を終わらせた。
僕は下を向きながらとぼとぼと歩いた、家の方には向かわなかった。
先生の家に着いた。インターホンを鳴らすと
「おお、どうした」
と先生が出てきた。
僕は半分苦笑いを浮かべながら
「失恋しちゃった」
と言った。
「そうか」
先生は言った。
「飲むか?」
「うん」
その時、一也が現れた。
「一也も飲むかー?」
先生は一階の一也に声をかけた。
「いいよー」
と一也は返事をした。
浩太、これでよかったんだよな、僕はそう呟いた。
浩太、やっぱりお前がいないと寂しいよ。
お前がいなくても日は昇って沈む、それがどうしようもなく悲しいよ。
完
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