第三章

「あれ、部長、今日休みですか?」
美術室に佐々木さんが4時半になっても姿を現さなかった。結局美術部に入っ
たのは私とかなえだけだった。これで大丈夫だろうか。他の上級生はなんと佐
々木さんと真下さん以外は幽霊部員だった、だから部活紹介の時あんなことを
言ったのだ。そういうわけでいつも部室には4人だけだ。私は人見知りする方
だから別に構わないのだが。
「風邪よ」
真下さんがカンバスから目を離さずに言った。
「じゃあ、見舞いっすね」
「え!」
私と真下さんはかなえの方を振り向いて向いて言った。
「由美子も行くだろ」
「いいけど…。迷惑じゃないかな」
「そんなことねーって」
「うーん」
「よし、行くのに決定だ」
この暴走娘には困ったものだ。
「真下さんはどうっすか?」
「私は、あ、あなたたちが行くなら、当然行くわ。ふ、副部長としての、その
、当然の責務よ。そう、責務よ」
真下さんがドギマギしながら答える。
入部してからずっと思っていたけど、これはやっぱり。いつも真下さんの視線
は、いつも真下さんのカンバスの隣にあるカンバスは。
「じゃあ、今日は終了っすね、行きましょ」
「で、でも」
真下さんが慌てる。
「なんすか?」
「その…」
「心の準備ができていないとか?」
「な、何言ってるの、さっさと行くわよ、遅くに行っても迷惑だろうし」
ふふ、暴走娘の勝ちだ。わー、真下さんの顔、赤い。

私たちは真下さんを先頭に丘の上を目指して歩いていた。
今朝もあの夢を見たな、これで一週間連続だ、やっぱりただの夢じゃない気が
する。
そして、毎朝起きた時には頬が涙で濡れていた。
「真下さん」
かなえが前を歩く真下さんに声をかけた。
「何?」
真下さんは振り向かずに答えた。
「何で部長の家の場所を知っているんすか?」
ぴたと真下さんは歩みを止めた、こちらは振り向かない、振り向けないのだろ
うか。真下さんとかなえは丘の反対側に住んでいた、だから、普通丘に住む私
や部長の家は知らない。この暴走娘は・・分かって言っているんだろうけど、
ちょっとからかいすぎじ
ゃないだろうか。
「それは・・」
「それは?」
「ふ、副部長としての当然の責務よ」
「なるほど」
かなえの顔はニヤリとしていた。私も少し笑いだしそうだ。なんとか堪えてい
る。いけない、本当に笑いそうだ、ごめんなさい真下さん。
真下さんは、再び歩き出した、耳が真赤だ、私はなんとか笑わずに済んだ。面
白いなー、真下さん。
いつもよく加奈子ちゃんと遊んだ河頭公園を曲がった。
こっちの方はあまり来たことないなあ。
しばらく進むと一軒の書店で真下さんは止まった。
「ここよ」
こんなところに本屋があったんだ。なんだろずいぶん懐かしい気がする、子供
のころにでも来たことあるのかな。私たちはしばらく動かなかった。
「入らないんすか?」
「そ、その」
「副部長としての責務は?」
「は、入るわよ」
店の中に入ると店員はいなかった。
「こんにちは」
真下さんの声は小さい。
『約束だよ』
頭の中であの夢の男の人の声がした。私はぼーっと立ちつくす。何?どうして
今?あるはずのない木の葉が舞い落ちる。
「こんにちはー!」
かなえが大きい声で呼びかける。
「はーい」
奥から男性が出てきた。佐々木部長だ、顔が赤い。だるそうだ。
「あれ、みんな、どうしたの?」
「見舞いっすよ」
「佐々木君寝てなきゃ」
「はは、大丈夫だよ」
その言葉とは裏腹に少しふらついている。
「おうちの方は?いないの?」
「この時間は母さんはパートに、兄さんがいつも店番してくれるのだけど、今
薬買いに行ってくれているから」
「ダメだよ、寝ていなきゃ」
「そうだぞ、寝ていなきゃ」
後ろから男の人の声がした。
「店はすこしぐらい空けていていいって言ったのに、ほら薬」
「ありがと、兄さん」
振り向いたとき、私は。
私の中の時が止まった。
また声がする
『この木の葉にかけて誓います、私は・・・』
私は涙が止まらなかった。
「私は・・私は・・」
涙声で私は繰り返していた。
和人さんのお兄さんは私を見つめていた。その表情は涙でよく見えない。
「会いに・・行きます」
私は声に出したが想いがこみあげてうまく言葉にならない、やっと、やっと会
えた。逢いたかった。夢の中の人は和人さんのお兄さんだ。
「大丈夫ですか?」
え?
和人さんのお兄さんは確かにそう言った。
どうして、そんな言葉を?やっと会えたのに。
「木下さん、大丈夫?」
真下さんが私に話しかけた。
私は急に熱が冷めてきた。
勘違い?違うの?それとも私の馬鹿な妄想?
横を向くとかなえが悲しそうな顔をしていた。
馬鹿だ、私は大馬鹿者だ、
私は走って店を飛び出しその場を去った、走って走って河頭公園に着いた時に
は、涙は止まっていた。気持ち悪い、吐きそう・う。
私はその場で嘔吐した。
「はあ・・・はあ・・・馬鹿みたい・・私、どうして」
目の前が真っ暗になる。
「大丈夫ですか?」
目の前にハンカチが差し出された。
声の主を見ると和人さんのお兄さんだった。
「・・・すみません」
私は受け取る、見られたくなかったのに。
「どうして・・」
追ってきたの?
「君の友人に追いかけろって言われましてね。すごく怖かったですよ、ハハ。
今日は和人の見舞いに来てくれたのですね、ありがとうございます。えっと・
・・」
「・・木下です」
「私は幸人です、木下さん、大丈夫ですか?」
「・大丈夫です」
「座りましょうか?」
幸人さんの声を聞くと胸が騒ぐ、そしてなぜか心が静かになる。
私はこくりと頷く。
私がベンチに腰を下ろすと幸人さんは自販機の前に立った。
「何がいいですか?コーヒー?」
「はい」
あんな姿を見られたのに、私の心は穏やかになっていた。どうしてだろう。
「ブラックですか?」
「えっと」
「微糖ですね」
「はい」
「素直が一番ですよ、はは」
さっきのことが無かったかのようだ。
幸人さんは隣に腰を下ろした。缶コーヒーが手渡される。冷たい。少し飲む、
緊張してなかなかうまく飲めない。
「和人の同級生ですか?」
「いえ、後輩です、一年です」
「じゃあ、美術部ですか?」
「はい」
はいしか私言ってない、けど他の言葉を口にしたら幸人さんに嫌われそうで怖
い。このままでいい。
「和人が部長になったと聞いた時には嬉しかったですよ、あの子が帰ってきて
誇らしげに言ったのですよ、部長になったって。本当は真下さんという女の子
がなると思っていたみたいなのだけど、真下さんが和人がいいって言ってくれ
たみたいなのです。すごく嬉しかったです、ああ、ちゃんと和人のこと認めて
くれる人が現れてくれたのだなって思いまして」
認めてくれる人・・
「今日もね、部長だから休めないと言って学校行こうとしましてね。止めまし
たけど。私は大学の休めない授業があるのでさっき急いで帰ってきました・・
一年生のころ部活辛そうでした。」
辛そう?
「デッサンしかやらせてもらえないと、上級生が厳しくて一緒に入った子みん
なが辞めていくと・・部長になった時、こう言いましたよ、美術部を変えると
・・美術部の様子はどうですか?」
「楽しいです、私、油絵を描いています、和人さんが美術部に入った時に何が
描きたいか聞いてくれたのです」
「そうですか」
幸人さんが嬉しそうに笑ってくれた。
「良かった・・私たちの親は和人が幼い頃に離婚しましてね、父親は酷い人で
した、和人もつらい思いをしまして。私は自分のことだけで、和人を守ってや
れなかった。・・・情けないです、自分の弱さに腹が立ちます」
幸人さんは揺れるブランコを見つめながらたんたんと語った。
「・・・」
幸人さんがこちらを向いた。私はドキッとする。
「何故でしょうね。あなたの前だと全てを聞いて欲しくなる。初めて会った人
なのに」
私も全てを聞いて欲しい、でも言葉にできない。
「落ち着きましたか?」
私はこくりと頷く。
「そろそろ戻りましょうか、友達が心配するといけない」
街燈が明かりを灯した。もっと話していたかったな。
私と幸人さんは並んで歩いた。うれしかった。
また声が聞こえた。
『約束だよ』
私は立ち止まった。
幸人さんも歩みを止め振り返った。
「どうかしましたか?」
「運命を信じますか?」
私は勇気を出していった、この勇気は幸人さんが与えてくれたものだ。だから
答えてほしい。正直に言ってほしい。
「運命ですか?」
「はい」
どうしよう、変な子だと思われたら。
「私に運命というものがあるとすれば、それはきっと残酷なものでしょうね」
え?
「私みたいな存在には幸せなど訪れてくれなくていいです、ただただ苦しめて
ほしいです、私みたいな人間には」
そんなこと・・
「そんなことないです・・遠い、遠い約束を信じますか」
「・・・・約束は永遠です」
「私も約束を信じます、いずれ訪れるその日まで」
胸の前で固く握りしめた両腕の上に木の葉が落ちる。
『・この木の葉にかけて誓います』
「木下さん?」
「大丈夫です」
私は歩きだす。
約束は永遠、いまはその言葉だけでいい。すべてその言葉がきっと導いてくれ
る。
かなえは店の外にいた。
「かなえ、どうしたの?真下さんは?」
「ひひひ、由美子のこと様子見てくるって言って二人きりにした」
かなえは幸人さんの方を向いた。
「佐藤かなえです、よろしくっす」
「・・よろしく」
「よし」
何がよしなのだろう。
和人さんの部屋の中にいた真下さんは正座していた。明らかに容量越えしてい
るようだった。かなえは大爆笑だった。幸人さんもすこし笑っていた。私もほ
んの少し笑っちゃった。
その日家に帰ると私は日記を書かずにすぐ蒲団にもぐりこんだ、疲れているの
かすぐ眠ってしまった。
第三章逢瀬

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