先生が帰った後、僕は紗智の部屋に戻ると紗智は僕を睨んできた。
「遅いよ、お兄ちゃん」
「ああ、ごめん、先生が来ていたんだよ」
「先生?」
「新任で綺麗な人なんだけどさ、そうだ、紗智、髪切ってあげるよ」
そう言うと僕はベランダに椅子を出した。
「えー、明日でいいよ」
「いいから、いいから、さあ、お客様、どうぞ」
僕は紗智の手を引っ張って椅子に強引に座らせた。紗智はふくれ面だ。
僕は鼻歌をしながら、ハサミをカシャカシャと動かしていく。
「紗智、綺麗になったなー」
「何?お兄ちゃん、気持ち悪いよ、鼻歌なんてして、綺麗になったなんて言って・・何かあったの?」
「いや、べつにー」
僕の鼻歌は止まらない、それどころかどんどんリズムが付いていった。
蝉の鳴き声と僕の鼻歌は夏のオーケストラになった。ハサミは指揮棒になる。
「もしかして、好きな人でもできたの?」
「え?」
僕はぎくりとする。
「あー、先生が生徒のラブレター持って来たとか」
「いや、その・・・」
仕方ない、紗智には話すか
「実は先生と付き合うことになったんだよ」
紗智には嘘をつきたくない。
「・・・マジですか?」
「マジです」
「まー、安心したわ」
「安心?」
「お兄ちゃんにも、やっと彼氏できたか」
「ひっきーが言う台詞じゃないですね」
ひっきーとは引きこもりのこと
「あー、ひっきーの人権侵害ですね、ひっきーにも人権をー」
「はは」
あ、やばい、切り過ぎた。
「紗智、思いきって、ショートカットにしたら」
「・・・お兄ちゃん、もしかして・・」
「ああ、その・・ごめんなさい」
「お兄ちゃん!!」
僕の夏は始まった。暑い、暑い、夏だ。
?
第四部 私と恋人
私は佐藤君と二人で登校するようになった、でももうすぐ、それも一旦終わる、夏休みが来るから。休みになるんだけど、休みじゃないんだ。私達の通っている学校では夏期講習が有志の生徒向けに行われる、強制じゃないといっても受験を考えている3年生はほとんど参加する、佐藤君も参加するだろう、まだ聞いていないけど。
吉本先生は一学期最後の授業でこう言っていた。
「私よりも教え方の上手い、先生、塾の講師、家庭教師がいるなら、そちらの授業を受けてください。その方があなた達のためです」
私はその瞬間、かっこいいと思った。
後で吉本先生のところに報告しに行ったら、吉本先生はしょぼーんとしていた。
「西沢さん、私、また、やっちゃったよー、学生時代からこうなんだよー」
聞くと教師の評価が夏期講習の授業を受けにくる生徒の数で決まるそうだ。
「知っていたのだけど、言っちゃった。私の処世術は自分に厳しすぎるね」
「先生、やっちゃったねー」
「でもね」
「でも?」
「内緒だよ」
そう言って、耳元で囁いた。
「瀬戸君と付き合うことになった」
「えー!!」
私は思わず叫んでしまった。職員室の他の先生たちが私のことを見る。
「しー、しー」
人差し指を口にあてて、私を静める。
私は耳元で尋ねる。
「どっちから、言ったの?」
「瀬戸君から」
「瀬戸君、かっこいいもんね、佐藤君の方がかっこいいけど」
はははと吉本先生は笑った。
私も笑う。
「他の生徒には内緒だよ」
「うん、教えてくれて、ありがとう、佐藤君と藤田君には?」
「あー、最近授業でしか会ってないからね、二人には言っていいよ、でも内緒だよ」
「うん」
その日の帰り道、私はそのことを佐藤君に報告した。
「そっかー」
まだ日は明るい、本当にもう夏だ、明後日は終業式だ、夏休みなんか来なければいいのに、私は学生らしくないことを考えていた。
「清子ネエが瀬戸とねー」
「うん、びっくりだよね」
「いや、瀬戸、いつも清子ネエのこと見ていたから」
「そうなの?」
「うん、いつかはこうなるかもって思っていた、とうとうこうなったかって感じ」
「じゃあさ、私の視線には気付いていた?」
「いや、女子のそういうのは、僕疎いから」
「そう」
「夏期講習何受ける?」
「私、夏期講習行かないよ」
「おー、自宅学習か。すごいな」
「違う」
「塾?どこの塾行くの?」
「違う」
「家庭教師?」
「そうじゃないよ」
「何なの?」
並んで歩いていた、私の足が止まる。
「私、大学行かないよ」
「・・・」
佐藤君は固まる。
私と佐藤君の距離は今1メートル。でも今ので心の距離はもっと遠くなった。
「どうして?」
佐藤君が言った。真剣な表情をしている。
「勉強したくないから」
「嘘つくなよ」
一発で見破った、さすがだね。
「・・・お金ないんだ」
「・・奨学金借りればい・・」
「違うの」
私は続きの言葉を遮った。
「0ならいいよ、違うの、マイナスなんだ」
「・・大学のこととか、今まで話題避けていたの、そのせいか?」
こくりと頷く、気付いていたんだ。
「俺が出すよ」
「お願い、そんなこと言わないで、そんな悲しいこと言わないで」
「・・・」
「知っていた?実は私バイトしているんだよ、内緒にしていたから知らなかったよね、夏休みはバイトの量増やすんだ、ごめんね、あまり会えなくなる、一緒に登下校できなくなるから」
「どうして黙っていたんだ?そんな大切なこと」
「・・言いたくなかったんだ、きっと佐藤君、自分が負担になること言うから」
「・・・」
「佐藤君、優しいから。でも子どもだね、優しすぎるよ」
ダメなのに、こんなこと言っちゃ。
「想像できる?私の生きてきた世界?高校も自分で学費出しているんだよ。私だって大学行きたいよ。でも、ダメなの、無理なんだよ」
ダメ、こんなこと言っちゃ。逆光で佐藤君の表情はあまり見えなかった、私の方が見えなければいいのに。
「私の家、かなり借金あるんだよ、ごめんね、今日はもうここで別れよう」
そう言って私は走り出した。佐藤君は・・追って来なかった。少し追ってきてくれることを期待していた、私は泣いちゃいけないのに少し泣いてしまった。私はダメな人間だ、不幸自慢なんかしている。それも最低の、相手を傷つける不幸自慢だ。
バイトはガソリンスタンドで働いている、今日も夕方からシフトがある、しっかりしなきゃ、そして帰るのは、いつも10時くらいになった。もったいないとは思っていたけど、毎日お風呂にはしっかり入った。佐藤君にガソリン臭い女だと思われたくない、毎日気付かれるかもとドキドキしていた。
今日は、家に10時半に着いた。
お母さんは帰っているみたいだ。明かりが点いている。
「はー、ただいまー」
返事がない、聞こえなかったのかな。
「ただいまー」
大きな声で言った。
「おかえり」
「おかえり」
「おかえりなさい」
あれ、返事が三つだ、こんな時間に誰かいるのかな?誰だろう、もしかして消費者金融の人じゃないよね、最近取り立てが厳しい、不況で向こうも苦しいみたいだ。不況で苦しいのはこっちも同じだっていうのに、毅然とした態度で応対しなきゃ。
私はずんずんと歩いていった。私の家は狭い、2DKだ、奥の部屋にドアを開けた時、びっくりした。佐藤君と藤田君がいた。
「どうしたの?」
私が尋ねた。
「大切な話があるんだよ」
藤田君が言った。
「藤田君の?」
「いや,佐藤の」
何故、藤田君もいるのだろう。
「それでは、お母様、聞いてください」
佐藤君が言った。
お母様?
「この子たちが、恵理が帰ってきたら話したいと言ってね、ずっと待っていたんだよ。では、話してください」
佐藤君は一呼吸おき、正座して頭を畳の上まで下げ、つまり土下座して言った。
「恵理さんと結婚させてください!」
「へ?今なんと?」
「恵理さんと結婚させてください」
もう一度繰り返した。
「私からもお願いします」
藤田君まで土下座した、私は無言のまま何も言わなかった。
「あの、本気で言っているの?」
お母さんが尋ねた。
「・・やめてよ」
私は言った。
「こんなことしないで」
私の手は震えていた。
「僕は本気だ」
佐藤君が言う。
「俺もだよ」
藤田君が言った。
「仕事先も見つかった、高校卒業したらそこで働きながら大学に通う」
「精二さんの、ああ、まだ知らないか、えっと、俺の今の親父の会社だよ」
「知らない?今の?」
お母さんが尋ねた。
「はい、俺の母が再婚したので、今の親父です」
「でも働きながら、大学に通うなんて無理なんじゃ・・」
お母さんが言った。
「夜間の大学に、もしくは通信制の大学にします」
「そんな、まだあなた達、子どもよ」
「結婚は今すぐじゃなくても構いません、ただ婚約させてほしいのです」
「ダメだよ、そんなことしちゃ、私のために佐藤君が犠牲になってほしくないよ。知らないでしょ私の家の借金の額」
私は言った。
「さっき、聞いた、正直驚いた、でも・・・」
「でも、何?」
「一人で何でもしょい込むなよ、俺にも背負わせてくれ、俺は西沢のこと好きなのだから」
「そういうことは、大人になって、本気に好きになった人に言ってよ」
「じゃあ、今、本気で好きな西沢を見過ごせって言うのか?」
「でも・・嬉しくないよ、こんなことされても」
「西沢、佐藤のこと、好きじゃないのか?」
藤田君が言った。
・・・
「・・・好きだよ、でも・・」
「なら、西沢・・」
佐藤君がこっちを向く。
「一緒に生きよう、苦しみも悲しみもともに分かち合おう」
「でも・・・」
・・
「私は佐藤君に幸せになって欲しい」
「僕の幸せを望むのなら、そばに居させてくれ、いつまでも手をつながせてくれ」
佐藤君は私をまっすぐ見つめて言った。
でもそれはきっと佐藤君の幸せにはつながらない、口で言っていることは綺麗に見えるけど、実際はおままごとだ。
「西沢の幸せはなんだ?」
佐藤君が尋ねた。
「私の幸せは・・」
「嘘はつかないでくれよ」
・・・
「私は・・佐藤君といたい」
私の心はダムが崩壊したように感情が一気に流れ出た。
「佐藤君といたい、毎晩将来のこと考えて怖かった、だってそこには佐藤君がいないから、私も一緒に生きたい、でも」
「恵理、もう分かったよ、婚約したかったら、すればいいよ」
お母さんが言った。
「でも」
「この家のせいで、恵理が不幸になるのは辛いよ」
お母さん・・・
「そろそろ話はまとまりましたか?」
玄関から男の人が入ってきた。
「精二さん、なんで入って来たの?車の中で待っていたんじゃ?だいたいOKだよ」
「OKが出るまで、話さずにおこうと思っていたんですけど、西沢さんの家の借金、私の会社が負担します。佐藤君に働いて返してもらいます」
「そんな、額がとんでもないですよ」
「ええ、分かっていますよ。でも実は、私の会社からしたら、大したことないのですよ、そんな額。というわけで西沢さん、あなたの家の借金は0です。私の会社はグループ企業のトップにありますから、佐藤君も満足のいく職場が見つかりますよ」
私はあまりのことに唖然とした。
「精二さん、すげー、もしかして社長なの?」
藤田君が言った。
「実はね、でも社長って言ったのはお母さんには内緒だよ」
「精二さん、そこまでしてもらわなくても」
佐藤君が言った。
「大切な人には幸せになって欲しいのですよ。ただし、3つ条件があります」
「条件?」
藤田君が言った。
「佐藤君と西沢さんは働いてもいいけど大学に行くこと」
「はい」
佐藤君は返事をした。
「もう一つは、佐藤君は西沢さんの家に住むこと、やっぱり高校生にはまだ早いかもしれないけど、結婚を考えているなら、同棲して一緒に住むことがどういうことか確認しなさい」
「うらやましい」
藤田君が言った。
「そして、西沢さんのお母さん、しばらく仕事を休んでください、かなり精神がまいっているようですから、休養が必要です、休んでいる間は私が援助します、再就職先を探すのも私が手伝います」
「・・ありがとうございます」
お母さんは深々と頭を下げた、泣いているようだった。確かにお母さんは疲れきって、もう限界だと私は思っていた。
佐藤君と藤田君も頭を下げる。私は躊躇した。そして尋ねた。
「なぜ、そこまでしてくれるのですか?」
「私は、もう後悔はしたくないのですよ」
精二さんは遠い目で言った。
「一晩考えさせてください」
私は言った
「はい、いいですよ」
その日は精二さんが持ってきた肉で焼肉をすることになった。
お母さんは自分で好きなように決めたらいいと私に言ってくれた。私は迷っていた。
食事には藤田君のお母さん、そして吉本先生と一緒に瀬戸君が来てくれた。大人数になったので焼肉はアパートの横のブランコのところでバーベキュー方式でやることになった。もう夜中なのに。
瀬戸君が来たことで佐藤君と藤田君はかなりテンションをあげて喜んでいた、焼いた肉を次から次に瀬戸君の口の中に放り込んでいた。はは、男の子って単純だな、そう呟くと、そうだねと隣で吉本先生が言った。
「瀬戸君もあんなにはしゃいじゃって」
吉本先生が言った。
私は思い切って訊いてみた。
「先生は瀬戸君と結婚するのですか?」
「結婚?どうだろう、できればしたいな」
「はー、すごい、やっぱ、大人だなー」
「そんなことないよ、私は子ども子ども」
「えー、でも・・・私と佐藤君はこの場所から始まったんです」
「ここ?」
「はい、この場所で話をして」
「そうなんだ、でも、学校で初めて会ったときから始まったのかもしれないよ」
「え?」
「運命の赤い糸・・・こらー、さっちゃん、マー君、野菜も食べなさい」
そう言って、二人のところに先生は行った。
「運命の赤い糸か・・」
私は勇気を少しもらった
みんなが帰った後、私は隣で寝ているお母さんに話しかけた。
「お母さん、まだ起きている?」
「・・起きているよ」
「私、佐藤君と結婚するね」
「そう・・」
「大学にも行く」
「そう・・良かった」
「お母さん?」
「本当に良かった」
「・・うん・・私達、お父さんの残した借金で大変な目に遭ったけど、一言も文句を言わないお母さんはすごいと思うよ」
「・・だって、好きだからね」
「うん、私もお父さんのこと好きだよ」
「ありがとう」
お母さんは小さな声で言った。私達はもうそれ以上何も言わなかった。
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