「ただいま」
きまずいな。
「おかえり」
父さんはこちらを見ずに言った。それ以上何も言わない。
なんだか、もう限界だ。
「怒らないの?」
僕は靴も脱がずに玄関に立ったまま言った。
「何をだ?」
父さんはこちらを向いた。
「今日のこと」
「どうして怒るんだ、お前が行きたくて行ったんだろ」
「・・・違うよ」
「何が違う」
「俺は行きたくて行ったんじゃない」
「・・」
「父さんが行かせたんだ!」
「俺は一言も行けとは言ってないだろ」
「違う、父さんが行くなと言ってくれなかったから、俺は行かなきゃならない
んだ!」
「俺はお前の意思を尊重しているだけだ」
「いらない、そんなものいらない、尊重なんかしてない、ただ放り出している
だけだ。俺の気持ち考えたことある?」
「いつも考えているさ」
「なら、何か言ってくれよ、父さんも母さんも、大キライだ!」
俺はそう言うと外に出て走り出した。分かっている、分かっているんだ、俺も
父さんたちの立場だったら同じことをした、きっと決定は子どもの意思に任せ
るだろう。でも俺は混乱して分からなくなってきている。こんな時は言葉が欲
しいんだ、何かを言って欲しいんだ。
行き場所もなく僕は走るのを止めて歩き出す。
馬鹿だな、俺って。
そう思いながらとぼとぼと歩いた。行くあては佐藤の家しかないけど、もうこ
んな時間だし、親御さんが嫌がるだろうな。となると、あとは・・・清子ネエ
か・・でも帰り遅いって言っていたしな、花見でもやっているのかな。
一つ行ってみたい場所があった。

もう夜遅くになってしまった。
入口の前のボタンを押す、確か1503だったよな。
「・・はい」
「夜遅くすみません、まことです」
「まこと君?ちょっと待って、下に行くから」
数分後精二さんが現れた。
「すみません」
「忘れものでもした?」
「違います・・その・・父と喧嘩して・あと精二さんにいろいろ訊きたいこと
もあって、御迷惑でしたでしょうか?」
「いいよ、いいよ、来てくれてうれしいよ、そっか、喧嘩か、私も幼い頃よく
したな、帰りたくない?」
「はい」
「泊まっていっていいよ、けどお父さんが良いって言ってくれたらね」
「ありがとうございます」
精二さんは父さんに電話をして許可をもらってくれた。
「何か飲むかい?」
「いえ、あの、お構いなく」
「お酒は飲んだことある?」
「少しなら」
「私が高3の時にはかなり飲んでいたよ」
「そうなんですか?」
「勉強も全くしなくてね、大学には見事落ちて、浪人したよ、毎日父親と喧嘩
、浪人しても勉強しないし。私もね、親が幼い頃離婚して父親にひきとられた
んだよ。毎日言っていた、母親のところに行きたいってね」
「そうですか」
 とてもそうには見えない、エリートコースを歩んできたように見える。
 「でも、それはただ現実から逃げたいだけにしか過ぎなかった、私は家族を
 大切にできなかった」
 「・・・」
 あんなに俺に優しく接してくれたのに・・
 「ジュースで良いかい?」
 「はい」
オレンジジュースが注がれる。精二さんもテーブルに座った。
「さて、まこと君は何故喧嘩したのかな?よかったら、聞かせてくれるかい?
」
「俺・・・言葉が欲しかったんです、ただ任せられるほど強くないんです。ま
だガキだから、決定を委ねられても困るんです・・何も分からない、どうして
いいのか分からない・・それが俺の気持ちなんです」
「・・それで、もう自分の気持ちは話したのかい?」
「さっき言って逃げてきました」
「うん、実はね・・・気持ちを伝える、言葉で伝えるっていうのはとても大切
なことなんだよ。まこと君はお父さんが何を考えているか全て分かるかい?」
「あまり・・」
「現実はね、自分が思っているほど、他人は自分の考えていることを分かって
いないんだ、だから、伝えなきゃならないんだ、言葉に出して」
「・・」
「勇気を出してね」
「はい」
「ごめんね、偉そうなこと言って」
「いえ、ありがとうございます」
「ただね、厄介なのは、自分の気持ちを受け入れてもらえないことなんだ」
「・・・」
「これは本当に厄介でね、私は父親の気持ちを受け入れなかったし、父親も私
の気持ちを受け入れなかった。辛かったね」
「・・俺、さっき、父親の気持ち分かっているのに受け入れずに拒絶して逃げ
てきました」
「うん、案外難しいんだよ、気持ちを受け入れるっていうのは。自分の思いと
食い違っている時は特にね。だから努力が必要、言葉を聞いたり、言葉を伝え
たり、話し合ったり、主張したり、譲歩したりね」
「はい」
「本当は上手くいかないことの方が多いんだ、だから人は努力しなきゃいけな
い」
「・・・」
「私はその努力を放棄してしまった」
「でも今は?」
「今はちょっとがんばるようになったかな、ははは」
精二さんは優しい顔をしてくれた。
「で、訊きたいことって何かな?」
「あの・・精二さんは、私にどうしてほしいですか?」
「ああ、それで喧嘩したんだね?」
「はい」
「私も本当はまこと君に決めてほしいけど」
「けど?」
「できたら、私の息子になって欲しい」
息子になって欲しい・・そう、この言葉を待っていたのだ。
「ありがとうございます」
「うん、どういたしまして」
・・・
「ごめんなさい、俺、やっぱり帰ります」
「うん、車で送るよ」
「そんな、でも」
「いいよ、子どもは甘えるものだよ」
「・・ありがとうございます」
家に着いた時にはもう夜中になっていた。
父さん寝ているだろうな。
そう思い、そっとドアを開けた、古い引き戸なので、どうしてもガラガラと音
が鳴ってしまう。足音をたてないように静かに歩いて自分の部屋に向かおうと
した。居間を通り過ぎようとした時、薄暗い明りの中でテレビも点けずにじっ
と座っている父さんを見つけた。
「・・父さん」
そっと声をかけると父さんははっと振り向いた。
「まこと」
「・・ただいま」
「おかえり」
二人の間に沈黙があった。
先に口を開いたのは父さんの方だった。
 「すまない」
父さんが謝るなんて初めてのことだった、俺はびっくりした。
「どうしたの?」
「そのだな、お前に辛い思いをさせてしまってすまなかった」
「・・いいよ、ちゃんと伝えなかった、俺が悪いんだし・・父さん」
「何だ?」
「俺に本当はどうして欲しい」
「・・一緒にいてほしい」
「そっか、分かった、ありがとう。父さん、もう寝なきゃ、明日仕事でしょ」
「うん、そうだな」
「おやすみ」
そう言って俺は自分の部屋に入っていった。散らかっているそこらへんの物を
適当にどけて布団を敷く。そしてすぐ布団の中に横になった。
「よかった」
布団の中でそう呟いた。
「やっと、話できた」

でも現実はそんなに甘くなかった。

桜は散った、本当に潔い花だ。日本人が愛するわけが分かる。母さんは再婚し
た、清子ネエは家を出た、今一人暮らしだ、まだ遊びに行ったことはない、今
度3人でおいでと言われている、佐藤と西沢とだ。二人は仲良くやっている。
そして俺は父さんのところに残った、父さんとは以前より少し会話の量が増え
た。
もう暖かい、桜が咲いている時はまだ少し肌寒かったが、もうすっかり春だ。
花粉症で鼻をむずむずさせながら、俺はぼーっと授業を聞いていた。今夜は飯
何作ろう、そんなことを考えていた。瀬戸は今日も休んでいる、今回は少し長
い、大丈夫かな。
コンコンと教室がノックされた、「失礼します」と近藤先生が入ってきた。
「藤田、ちょっと来てくれ」と呼ばれた。俺は何だろうと思いながら教室の外
に出た。
「お父さんが倒れたみたいだ、すぐに病院に向かおう」
俺はしばらく呆然とした。何かの間違いじゃないのか?
「そんな、でも・・・」
朝はあんなに元気だったのに・・
「大丈夫か?気をしっかり持て、行くぞ」
そう言われて俺は引っ張られた。
 近藤先生に車で送られる中、近藤先生は何も言わなかった、俺も何も言えな
 かった。頭の良いやつ、要領の良いやつはこんな時、何を考えるのだろう。
 俺はどんどん悪い方向にばかり考えを進めてしまう。そして何度もしっかり
 しろと自分に言い聞かせた。
 街で一番大きい病院だった。先生が受付で病室を尋ねて俺達は病室へと向か
 った。俺は正直脚が震えていた。
「ここだ」
先生が足を止め、俺に入るように促す。俺は頷き、入っていった。父さんは静
かに寝息を立てていた。体に通っている管を見て俺は戸惑った。酸素マスクも
付いている、点滴もしている。いったい何があったんだ。
「藤田さん」
声の方を振り向くと看護士さんが立っていた。
「先生からお話があります」
俺は付いていき、診察室に通された。若い医師だった。
「こんにちは」
挨拶をされ、こちらも返事をする。
「他にご家族の方は?」
「いません・・私だけです」
「そうですか、少し辛い話になるかもしれませんが・・」
俺は静かに頷いた。
「状況は良くありません、悪性の腫瘍が見つかりました、それも多数の臓器に
転移しています。つまり、癌です、それも末期の。精密な検査をしなければ詳
しくは分かりませんが、分かっているだけでも、胃、肺、大腸が先日の検査で
分かりました」
え・・
「あの、先日の検査というのは?」
「?ご存知じゃなかったのですか?1月ほど前から通院されているんですよ」
「・・何も聞いていません」
「そうですか、酷な話になってしまいますが、もって一ヶ月、というところで
す。理解していただきたいのは、かなりの重病だということです。こう言って
はなんですが、もう手遅れというところまできてしまっています」
俺は何も言うことができなかった。
「抗癌剤を使用するかどうかは、藤田さんの場合、よく考えてみた方がいいで
す。最近は依然と比べて良い薬も出てきてはいるのですが。病状が病状ですか
ら」
「・・・はい」
頭がくらくらする、そんな、こんなことってないだろ。どうして父さんがこん
な目に遭うんだ。
「あの・・・父は知っているんですか?このこと全部」
医師は頷いた。俺は看護士さんに促されるまま診察室を後にして、病室に戻っ
た。
「お父さん、目を覚ましましたよ。何か話しかけてあげてください」
「・・はい」
父さんは目を開けていた。呼吸器は外されている。
「父さん」
俺は話しかけた。
「まこと・・、学校は?」
「そんなのどうだっていいよ」
「・・すまない」
俺は泣いちゃダメなのに涙が出てきてしまった。
「・謝らなくていいよ、父さんは何も・・悪くない」
「黙っていてすまなかった」
「・・・」
「何度も言おうとしたんだが・・どうしても言えなくてな・・お金のことは心
配するな、こんな時のために保険に・」
「そんなこといいよ」
「・・・」
「お金のことなんかどうだっていい、そんなことどうでもいいから」
「ああ、すまない」
「もう、謝らなくていいよ」
「ああ」
父さんは静かに一筋だけ涙を流した。父さんの涙は初めて見た。
「お前の結婚式までは生きたいと思っていたんだがな」
「まだ恋人もいないのに」
父さんは少し笑った。
「佐藤君は恋人が出来たって言っていたじゃないか」
「言ったっけ、そんなこと」
「今朝の朝食の時に話してくれたぞ・・これからいろんなこと話してくれない
か?好きな子のこととか、聞きたいんだ」
僕は頷いて言った。
「いないよ、好きな子は」
 「お前の歳の頃には父さんは、3人ぐらいいたぞ」
 「3人て、スケベなオヤジだな」
 「男の子はみんなそういうものだ」
 普段より饒舌だった。だけどゆっくり話していた。
 「今日は、どうやって来たんだ?」
 「先生に車に乗せてもらってきた」
 「先生は?」
 「ちょっと待って」
 病室の外にいた先生を呼んだ。
 「失礼します」
 「先生、今日はわざわざありがとうございます、帰りはタクシーで帰らせま
 すので、先生は学校に戻られては」
 「はい」
 「まことをよろしくお願いします」
 「はい。藤田、困った事があれば何でも言えよ」
 「はい」
 先生は病室を出て行った。
 「良い先生だな」
 「うん」
「良かった、良い先生に恵まれて、良い友に恵まれて」
・・いい父親にも恵まれたよ。
「藤田さん」
看護士さんが入ってきた、入院の用意のリストが渡される、明日からは大部屋
に移るみたいだ。荷物はできるだけ少なめにしてくださいとのことだ。
「父さん、何か欲しいものとかある?」
「できたら、お前と清子の写真を持ってきてほしい、小さい頃のでもいい」
「・・分かった」
清子ネエには何と伝えたらいいだろう、父さんの病気を知ったらどうするだろ
う。母さんには伝えた方がいいのだろうか?
「お前といつか一緒に酒を飲みたかったのだが」
「病院でお酒はちょっとね」
「だな」
父さんは少し笑った。
「少し休んだ方がいいよ」
「うん、帰ってもいいぞ」
帰りたくない、一人の家なんかに戻りたくないよ。
「大丈夫、一時間ぐらいしたら、また戻ってくる、飯でも食ってくるよ、昼飯
まだだし。あ、金持ってない」
「上着の内ポケットの中に父さんの財布があるから、持って行きなさい」
「うん、ありがとう」
財布を取り出し病室を後にした。
気持ちは驚くほど、もうだいぶ落ち着いていた。何故だろう、話をしたからか
。いや、違う、まだ実感がないだけだ。もっと苦しそうな姿を見たら、この心
は騒ぐだろう。
そんなことを考えて、食べるところあるのかなとぶらついていたら思いもかけ
ない人物と出会った。瀬戸だった、瀬戸はこちらに気付いて、しまったという
顔をしたが、すぐにその表情を隠した。
「瀬戸」
「佐藤君、どうして、こんなところに・・学校は」
「お前こそ・・俺は親父が倒れて」
「そう、僕はちょっと・・入院していて」
そんなこと全く聞いていなかった、近藤先生は何も言ってなかった。
「大丈夫か?」
「うーん、あまり大丈夫じゃないかも、はは」
確かにパジャマ姿だし、それに元気なさそうに見える。
「今は何しているの?」
瀬戸が尋ねた。
「食べるところ探しているんだけど」
「じゃあ、売店で買って僕の部屋で食べない?僕も今から雑誌買いに売店行く
ところだから」
「ああ、うん、いいよ」
僕は売店で安くて大きいパンを買った。これからの生活を考えると節制した生
活を送らなきゃならないだろう。瀬戸はマンガの雑誌を買った。
瀬戸の病室はE棟という少し離れたところにあった、E棟に入って思ったこと
は、ここに入院している人は普通の病気と少し違うみたいだということだった
。
「・・瀬戸」
「ごめん、友達に会ったのは久しぶりだったから嬉しくて、こんなところ来た
くなかったよね?」
「いや、いいよ、それより、早く飯食おうぜ、おれ腹減ってさー」
「ありがとう」
「はは、今の感謝するところじゃないぞ」
「うん、そうだね、はは」
久しぶりに見る瀬戸の笑顔だった。でもその笑顔はすごく弱弱しい、桜の花を
想い浮かばせる。
看護士さんが病室まで食事を運んできた。
そんな・・これが食事かよ。まるで離乳食じゃないか。
「まだ、僕、胃が上手く機能してないんだ」
「そっか」

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